ありがとう 10周年記念サイト
 「昔の香椎はこんなまちだった展」は平成17年2月21日から27日迄、きらきら通り「バルーン館」で開催されました。
 このような催しを引き継いでいくためにも、「香椎タウンストーリー」では「香椎校区自治協議会」のご協力により、町の今昔が一目でわかる『昔の香椎はこんなまち』ページを公開することにしました。
 ご協力いただいた皆さまに感謝致しますと共に、ページをご覧になられた方で写真および情報誌等をお持ちの方がいらっしゃいましたらご一報いただければ幸甚です。是非とも掲載させていただき豊富で充実したページにしたいと考えております。
 どうぞご理解の上ご協力くださいますようお願いいたします。
写真は第一回「昔の香椎はこんなまちだった展」会場
香椎まちづくりPR館  愛称「バルーン館」
ふるさと香椎 
歴史愛好グループが制作した香椎地区


地元再発見
JR香椎駅界隈
香椎古地図
香椎セピア通りと西鉄踏切
浜男本通り
香椎潟の埋立
香椎の歴史PHotos(香椎まちの歴史を写真で追う) 
中世の香椎と香椎宮(墨書陶磁器) 「香椎B遺跡報告書による」  
御飯ノ山城と中世屋敷群
香椎宮の宝物
鎧坂地名由来石碑
歴史と傳統の街 香 椎 を 語 る
ふるさと香椎」掲載にあたり
 香椎公民館所蔵の資料「ふるさと香椎」を掲載することになりました。「ふるさと香椎」は現香椎公民館主事萩尾武士氏の亡父、博英氏により監修され、元公民館館長であった故森 泰播氏のご尽力により平成3年7月に発行されたものです。
今回同資料掲載に伴い、同web pageもリニューアルを行い、見やすい画面づくりに努めてまいりました。どうぞ従来同様ご訪問くださいますよう心からお待ち申し上げます。また、ご意見などお寄せいただければ幸甚です。
 なお、今回香椎公民館より、貴重な資料(ふるさと香椎)のご提供をいただきまして誠にありがとうございました。当「昔の香椎はこんなまち」の内容も詰まったページとなっております。今後とも資料の収集に努め、同ページの充実を図っていきたいと思っております。
皆様のご協力よろしくお願いいたします。(HP管理人) 2006.9.17

明 石 邸
     昭和53年1月7日 西日本新聞夕刊ローカルの紙面”ふくおか探検”香椎『数奇な運命    の明石邸』の記事を提供いただきましたので公開します。⇐こちらをクリックしてください


鎧坂地名由来石碑建立
2011.02.11
地名を後世に(安部光征 記)

鎧坂祈念石碑完成除幕式もよう

除幕式の準備をする住民・後方は「よろい坂」

よろい坂絵図

(左)除幕式・会長の橋口好弘さん
(右)タイムカプセルに思いを馳せて
いろいろなものが入った玉手箱

石碑建立にご尽力された「鎧坂シニアクラブ」方々ならびに地域の皆さん
それぞれの記念写真はこちらから

2011.02.10西日本新聞朝刊より転載

古地図
古書による香椎周辺絵
サムネイルしています。写真をクリックして拡大画像でご覧ください。


1900年(明治33年)国土地理院

1926年(大正15年)国土地理院

1936年(昭和11年)国土地理院

サムネイルしています。画像をクリックして
拡大画像でご覧ください。
香椎校区自治協議会・岩吉相談役が新しく作製された昭和16年代の香椎の町(2009.09.26)



サムネイルしています。拡大画像でご覧ください。
当時(昭和14年頃)の香椎の町。香椎校区自治協議会、岩吉会長作品。

                                                         昭和40年頃の香椎界隈地図

地元再発見

1962~1963年頃の名島妙見島(提供:本郷英一氏)
香椎の地元の方々のご協力により出来ました、地域思い出のリンク写真集です
上記画像をクリックしてください


「人権かしい」
2001年3月No10
「ぶらっと探訪・今と昔」より転載

潮見
  昭和34年頃の香椎海岸と「潮見」
1964年(昭和39年)頃の香椎(航空写真)

  当時(昭和34年)の公団香椎団地
昭和57年頃の御島崎と香椎海岸
(若葉団地・御島崎団地・フラワーハイツ・エメラルドマンション)
香椎地区・香椎潟埋め立て地1998年(平成10年)

香椎潟の埋立
 古地図及び地質により推定すると、旧石器時代には牧ノ鼻・立花山塊等現在の山地と思しいものが飛び地的にあり、縄文時代その飛び地を核として周囲が埋まり、飛び地をつなぎほぼ地形らしきものが生まれてきたが尚深く入江が入り込み、多くの入江をなしていた。
 古代時代に、潮流・河川の積土等で陸地の造成が進行し、ほぼ現在に似た形になり深く入り込んだ入江は、沼地や泥土で埋まり遠浅の海岸線が生まれた。
 人工的に埋め立てたのは現在の電車線路付近を明治36年に始めて堅の許可を得て埋立て、その後スーパー通りを埋立て、昭和の初めのユニード裏側にある浜男川迄と千早付近を埋立て、最近御島団地及び香椎浜付近を埋立てた。
 続いて香椎パークポートならびにアイランドパークが埋め立てられた。
クリック右の画像はサムネイル形式です。
拡大写真は画像をクリックしてください。

古い香椎町の写真
JR香椎駅界隈
今年(2007年)の秋「たけし」出演のドラマ「点と線」でモデルとなった当時の香椎の町の写真
昭和30年頃の「セピア通り」(写真提供フクニチ新聞) 国道3号線(昭和30年代)
香椎のバス停は現在より千早寄りにありました。もちろんビルはなく車もほとんど走っていません。
当時は道幅がとても広く感じた記憶があります。信号機の所が交差点です。「トーノ」病院の看板があります。
「汽笛一声新橋を」 で始まる鉄道唱歌 その中で歌われている初代の香椎駅は香椎潟を目前に望む、寒村の小駅だった。 それが今、福岡市の東の玄関として街をつくる。         
                              「KASI I人権 JAN/2005 No.15」より転載
「香椎駅小史」を別ページに掲載しております。こちらをクリックしてください
初代の国鉄香椎駅

「人権かしい」
2005年1月No15
「ぶらっと探訪・今と昔」より転載

◆初代の国鉄(現在のJR香椎駅)
初代当時のスナップ

当時の香椎駅前を、思い出すスナップです。松の青葉がはっきり見て取ることが出来ます。また、駅前にあった蘇鉄のロータリーもみえます。
懐かしいですね。被写体は修整を行わず、そのまま掲載しております。関係者の皆さまお許しください。
昭和63年(1988年)3月13日 南欧風国鉄香椎駅駅舎改築完成

二代目のJR駅舎の香椎界隈(左)西鉄宮地岳線踏切付近よりJR駅舎を望む(右)駅舎側より国道3号線方向を望む



現在のJR香椎駅
小説「点と線」出てくる旧西鉄香椎駅(左)と高架・新装なった同駅(右)

香椎セピア通り・浜男本通り・下原・香椎宮・香椎小学校
セピア通り
写真上(現在のJR香椎駅)・写真下は西鉄貝塚線踏切
香椎町町制10周年記念のお祭り風景 1953年(昭和28年の映像)
1943年(昭和18年)に香椎村から香椎町へ昇格しました。場所は現在のJR香椎駅前、アイノ写真館前付近です。
(現在のアイノ写真館は当時旅館だったそうです。)
平成13年12月の西鉄香椎踏切
浜男本通り・香椎宮

昭和15年頃の「浜男街道」 人権「かしい」第12号より転載・香椎高女アルバムから(写真提供・フクニチ新聞社)
  
昭和30年代の参道
(写真提供:地元の方)
香椎宮御池(通称菖蒲池)昭和52年「香椎やろう会」の方々の手で埋設される「菖蒲」を植え付ける土管設置作業風景
戦後まもなくの写真です。アメリカの進駐軍が撮った写真です。60年以上経っているのに色あせが全くありません。フィルムはコダックでしょう。

香椎下原
香椎下原方面の古い写真
昭和38年開発される前の国広団地。まだ山ばかり。 写真の奥の方に海の中道、新宮海岸、バス道路が俯瞰できます。
バス道路は(下原へ)採石場
管理人 柳瀬英昭より

香椎下原居住する青山さんからお借りした昔の写真です。
モノクロ写真は昭和38年代、
カラー写真は昭和45年代だそうです。
古い写真を見つけくださり、ご提供いただきましてありがとうございました。
少しずつですが、歴史の空間が埋まっていく気がします。
                          感謝・感謝
背後の山は、グリーンタウンとなりました。
子ども達の遊び場インディアンの砦だそうです。
緑の小山は開発中のグリーンタウン
手前の赤土の場所は開発中のオークタウン
当時の国広団地

香椎小学校
2008.10.06 昭和30年頃の写真。いろいろな方に「香椎の古い香椎の写真がございましたらお譲りください」とお願いしておりました。感謝
「人権かしい」
2004年3月No14
「ぶらっと探訪・今と昔」より転載

◆昭和20年代の「香椎   小学校の校庭」

 バックの森は「御島の森」でしょうか?
「人権かしい」
2003年10月No13
「ぶらっと探訪・今と昔」より転載

◆昭和20年代の「香椎    小学校運動会」

大正10年頃香椎にあった造り酒屋(渡 修造商店)・藁葺き屋根が印象的です。
香椎の酒醸造元・販売店徳利と藤野醤油の昔の瓶とラベル
上の写真(右)
渡酒店の販売用徳利
醸造元杉屋さん

上の写真(左)
宮内酒店の販売用徳利
右上の写真
箱崎伏敵醸造元の酒樽
左下の写真
綾杉醤油の昔のラベルと瓶
戦時中の瓶ではないかと思われます
提供 藤野醤油店(藤野 庫充氏)  
いろいろ詳しい事をご存じの方は教えてください。
リンドバークご夫妻の写真

昭和6年9月福岡県工業技術センター(旧福岡県工業試験場)前にて(中央のお二人がリンドバーグご夫妻)その左隣は当時の西南学院学長さん。
福岡県出身の日系人30名と同試験場を視察で訪ねた際の記念写真。
写真(所有) 浜地 実氏 (提供) 藤野 庫充氏

町制施行10周年記念「香椎町誌」抜粋写真

町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

香椎宮大鳥居



町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

片男佐海岸



町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

御島の鳥居



町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

浜男の街


町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

香椎町役場


町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

香椎町農協倉庫


町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

新国道バス停留所



町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

博多逓信保養所



町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

香椎郵便局



町制施行10周年記念「香椎町誌」より転載

香椎税務署
「香椎町誌」は昭和28年2月11日発行の古い書籍から切り取りましたので、画像の見にくい点、また氏名・顔写真の掲載をお詫び申し上げます。