◆「鎧坂」の石碑建立◆ ―地名を後世にー
福岡市東区の香椎小学校前バス停付近の二股道は、右がJR跨線橋を越え立花山麓の下原へ向かう旧唐津街道筋である。左は緩やかに上下する坂道の“よろい坂”である。跨線橋付近に兜をかたどった石が据えられ冑塚がある。付近は下原と香椎をつなぐ旧唐津街道筋で、平成19(2007)年以降、香椎地区の再開発が本格化し、香椎小学校付近の道路網が幾重にも交差し、周辺風景は一気に昔の姿が消えろうとしている。
そこで、香椎地区、浜男で使われた古い地名「鎧坂」(よろいざか)の呼び名をこれからも伝えていこうと、由来などを記した石碑を地元の有志(老人クラブ「鎧坂シニアクラブ」)たちが建立しました。由来は神功皇后が朝鮮に出兵した際、この坂で鎧を身に付けたとの言い伝えによる。この坂で落馬すると命を落すといわれ、馬から降りてこの坂を越えたと伝えられている。
福岡藩貝原益軒の『筑前国続風土記』巻十九糟屋郡裏鎧坂項に「冒(かぶと)塚の西十餘間に在。新宮港の方へ行道なり。神功皇后新羅へ赴給ふ時、爰にて鎧を着給ひし所と云。今も此所にて、往来の人馬より下る。此所にて落馬すれば必死する由、里民云傳へて恐をなす。」と記されている。