『点と線』舞台の町 香椎

 清張桜
 
町の様子は少しずつ変わってきてますが、清張桜は今年(2012年)も
きれいな花を付けてくれました
歴史を語る旧西鉄香椎駅前の桜の老木



香椎の歴史「清張桜」



今は昔、「点と線」という名作が生まれた町である。
松本清張先生がJR香椎駅、西鉄香椎駅近辺より香椎浜海岸へと続く情景の中でストーリーの展開があるが海岸の今と昔は変貌著しく、子ども心にも昔の岩場がある海岸が記憶に残っている。 

 私自身4、5歳の頃まで香椎に住み、戦時中のこともよく覚えている。私の妹が昭和20年1月に防空壕の中で生まれたことや、博多の町が大空襲の時、博多方面が真っ赤であったと亡父が香椎宮の頓宮から見た光景を話してくれた当時3歳だった自分の記憶にも鮮明に残っている。
  戦後静けさを取り戻した幼児の頃に、親戚の「香椎花壇」へ遊びに行ったとき、前の香椎浜海岸で潮干狩りをして大きなアサリ貝を取っていた綺麗な海の思い出がある。

 その後、香椎を離れていたが、その潮干狩りをしていた御島崎岩礁の埋め立て地に現在居住して20年を迎える。

 今、御島崎の入り江の先には大きく変貌しょうとしている博多湾沖の能古島くらい大きな埋め立て中の「アイランドシティ」が出現している。ここにどのような建物が出来るかはまだ計画中であるが、香椎に住み御島崎に居住するものは興味津々である。
和白干潟の野鳥の問題もあると思われるが、香椎を愛し東区の活性化を願うものとしては、この「アイランドシティ」計画とJR操車場跡の「香椎副都心土地区画整理事業」の建設が楽しみだ。
                     2001.11 hyanda2記

切り抜きファイル
AERA Mook 「昭和の鐵道と旅」2010.12.10発行より転載




 
 プロジェクト福岡の遠山さんを「点と線」の舞台へご案内した、御島崎の海岸
記事は産経新聞2010.0215(九州・山口版)より転載





清 張 桜

 2012年の清張桜 駅前も、すっかり様変わりしています 

今年1月、西鉄香椎駅前に移植された「清張桜」は無事開花しました。二年目が大切です。皆で見守りましょう。(2008.04.07)


新西鉄香椎駅前「清張桜」移植
旧西鉄香椎駅前にありました「清張桜」が本日新駅舎正面に移す作業が行われました。2008.1.21
「桜」は移植が大変難しいと言われている樹種です。このため、地域に愛される大切なこの桜は、樹木医と連帯を図りながら最新
の注意を払い行われます。(香椎まちづくりニュースNp.29号より転載)

2008.1.22 西日本新聞朝刊より転載

各社掲載記事より転載





西日本新聞平成20年1月6日朝刊より転載


「点と線」 清張ドラマ館
西鉄香椎駅前「とびうめ信用金庫」のドラマ「点と線」ウィンドウ展示
平成19年12月28日まで
ご来場ありがとうございました。引き続き写真の展示を「西鉄香椎駅」前の"とびうめ信用金庫"ウィンドウに展示しています。
■期  日    11月1日(木)〜11月30日(金)
                ・日〜木     午前10時〜午後6時
                ・金・土・祝前  午前10時〜午後8時 
■場  所    香椎駅前1丁目12−23 (マクドナルド横)
■内  容
       【写真展示】
             @写真で見るテレ朝スペシャルドラマ撮影現場の香椎駅前
             A写真で見る「点と線」が発表された昭和32年の香椎駅前
             B松本清張の残した軌跡のパネル展示
             C「清張の会」によるドラマ紀行(小説の軌跡を辿る)
             その他

 
■目  的    テレビ朝日開局50周年記念スペシャルドラマ「松本清張点と線」の放映(11月24・25日)に併せて、「点と線」
           の舞台となった香椎駅前にて、「松本清張と香椎」の"点と線の関係"を香椎駅周辺地区の住民および地元の
           九州産業大学の学生をコミュニケーションの核に、広く情報発信することにより香椎駅周辺地区のイメージアップ
           のきっかけづくりを行い、福岡市の東の副都心化構想での生活文化の核となるまちづくりに寄与することを目的
           にしています。
■主  催    香椎商工連盟

香椎駅前の「点と線」ドラマ館







横浜にできた昭和32年当時の香椎の町
 (西日本スポーツ2007.7.23より転載)

テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャル「点と線」スタジオ風景







昭和30年当時の香椎セピア通り西鉄踏切付近(写真上方向がJR香椎駅)






2007.08.10西日本新聞朝刊より転載




虚線の裏の実線あばく


西日本新聞2006.1.15 朝刊9面より転載





ある投稿者より転載

学生時代に通学に利用した駅「香椎」。最初は通学のために利用する駅であったが、松本清張の「点と線」を読んで、香椎の名の重さに気がつきました。それから香椎という駅と町に親近感を覚え、西鉄香椎駅や香椎宮、香椎商店街の人間味のある活気、立花山(楠の原生林の北限)・・、歴史のある町だと知りました。
 青春時代(7年間)を過ごした町と駅です。ほのかな思い出の町・駅でもあります。今では香椎駅を利用していた人が、香椎駅から2K程に千早駅、香椎神宮前駅、九産大前駅と次々に新駅が開業し分散されています。香椎駅も老朽化していますが、昔の名残が残っています。帰省する度に立ち寄り青春時代の良き友と思い出話をしています。
 
   東京都 ?才代 昔の名前 様より 05.10.09掲載 



「動くホテル」 東京駅十番線・・・・特急「あさかぜ」「さくら」月末廃止

       西日本新聞'05.02.24夕刊より転載


 「点と線」なぞ解き最終章・・・・・寝台特急あさかぜ来月廃止

                       '05.02.05 西日本新聞(夕刊)より切り抜き転載



東京出張でお世話になった「あさかぜ」もいよいよ廃止ですか。
思い出が沢山詰まった特急「あさかぜ」
何か寂しい気持ちでいっぱいです。


「点と線」空白の4分間発見 
  '04.11.22(月) 讀賣新聞 都民版から切り抜き掲載

当掲載記事は東京在住の友人がホームページ作成用にとわざわざ送付してくれた新聞記事を直接掲載させていただきました。
お許し願います。


     
'02.7.30 読売新聞「編集手帳」より
       松本清張氏が長編推理小説「点と線」を雑誌「旅」に連載したのは、1957年
       (昭和32年)のことである。翌年は単行本になり、戦後の推理小説ブームに
       火をつけた◆登場人物が博多行きの特急「あさかぜ」をホーム越しに眺める
       東京駅での冒頭の場面・・・・。福岡市の香椎海岸で発見された男女の死体・・・・・。
       遠い日、眠れる間を惜しんで活字を追った方も多いことだろう◆著者の没後
       十年を記念し、このほど新装版(文藝春秋)が刊行された。
       旅行雑誌で産声を上げた雑誌--改めて読み返してなるほど、と思う。
       謎解きの楽しさもさることながら、読み手の旅心を刺激する描写が随所にあって
       心憎い◆千葉県柏市に大型団地が完成、「ニュータウン」の呼び名が生まれる。
       政府の消費統計に「耐久消費財」という言葉が登場し、「三種の神器」(白黒テレビ・
       洗濯機・冷蔵庫)が流行語になる・・・。五十七年とはそういう年である。
       食べるのに精一杯でとても旅行どころではなかった人たちが、ようやく衣食住の
       足場を固めつつあった時期なのだろう。成長推理の大ヒットは、戦後復興という
       土壌に咲いた時代の花でもあったに違いない◆ちなみに特急「あさかぜ」は
       東京から博多まで十七時間あまり。いまならば新幹線「のぞみ」で一往復半
       できる。旅情もなかなか気ぜわしい。
'02.8.20 西日本新聞「四季」より
      お盆休み、小泉総理のように「無為に過ごす」のはもったいないので、北九州市
      の松本清張記念館で「安近短」を楽しんだ。挿し絵家風間完氏の作品で構成した
      「没後十年記念」企画の映画『点と線』、時刻表推理小説の傑作に熱さを忘れた。
      同著は昭和32年から雑誌「旅」に連載、社会派推理小説ブームを巻き起こした。
      福岡市の香椎浜海岸に男女の死体。汚職事件渦中の某省課長補佐と愛人の
      心中と思われたが、実は汚職隠しの殺人事件。昭和32年は経済白書が
      「もはや戦後ではない」と宣言した翌年、日本はまだ貧しかった。
      東京-博多は特急「あさかぜ」で約17時間半の時代。今、当時をしのぶものは
      消えた。
     「犯行現場」の海岸も埋め立てられ消滅。だが、消えぬのは「汚職」。「田中金脈」
      逮捕を清張が「汚職捜査の歴史的な業績。東京地検は国民からいくらほめられても
      ほめられすぎない」と述べたのは昭和51年。平成の今も東京地検は汚職捜査に
      追われる。「点と線」のテーマ「汚職」は不滅なようだ。
   ただ単なる偶然なのでしょうか。松本清張先生の「点と線」を主題にし、時代を風刺
      する新聞記者諸氏に畏敬を表します。 




香椎と「点と線」 投稿者:偏見まん  投稿日: 1月19日(日)18時32分31秒
 こんにちは、清張と「点と線」について一筆お邪魔いたします。
これらのことは、過去もしばしば新聞などで取り上げられていますが、手元にも、二つの切り抜きがあります。一つは西日本新聞1995年(平成7)1月6日付けで、銀幕幻影〜シネマに見る福岡〜の第3回目として、ずばり「点と線」のテーマで書かれたもの。
「心中するにしちゃ、あんまり寒々しくて・・・ここらへんは殺風景過ぎやせんか・・」と、香椎海岸で現場検証する鳥飼刑事の言葉を導入部にして、小説当時とは急激に変貌した香椎周辺を活写しています。香椎駅前の果物店の女性店主田中さんや事件現場を歩いて高校に通学していた小柳氏、生粋の香椎っ子という香椎公民館長森氏にインタビューし、往時の思い出やイメージーを膨らませるのに効果的な記事となっています。
 もう一つは、朝日新聞の日曜版の99(平成11)年8月1日付け、「清張の風景1〜シリーズ旅」の記事です。ここでは、「香椎海岸」の副題で,小説が出版され41年経過した「点と線」の舞台を探訪するものです。1930年代から埋め立てられてきた香椎海岸の今昔を対比し、周辺の人口が7倍になったことを記し、またここでも、香椎駅前のアイノ・スタジオの現館主相野裕治氏から聞く、父君が所持されていた当時の頃の写真の話。スタジオ向かいの飲食店「よし本」の吉本氏のインタビューなど簡明に記されています。小説当時はお二人とも小学生で、駅前で毎日三角ベースの野球をしたとの興味深いコメントもある。記事は最後に香椎海岸手前のかっぽう旅館「香椎花壇」の先代おかみ古賀フジ子さんを登場させ、うちの前が「点と線」の海岸です。岩が残っています。とのコメントで結んでいる。
                     偏見まん様のBBS記事転載





コンパスVol.27掲載