香 椎 宮
 
 
平成26年 春季氏子大祭         御神幸式
 
稚児行列 (御発輦・お下りさん)  
 
柳生新影流居合奉納
 
獅子楽奉納
 
獅子楽囃子方
 
子どもたちの健康を願って
 
御発輦・お下りさん
 
御発輦・お下りさん
  
御発輦・お下りさん  稚児行列
 
御神幸式(御発輦・お上りさん)2014.4.13  写真提供:相野さん
 
御神幸式(御発輦・お下りさん)2014.04.12
 
遷御祭の神事も終わり明日の御神幸式(御発輦・お下りさん)を待つ御輿  2014.04.11
 
御神興祓(御汐井取り)2014.03.30


 .
昭和15年当時の香椎宮拝殿(写真提供:香綾会)
 
香椎宮アドレス


  所在地 〒813−0011
        福岡市東区香椎4−16−1
  電  話 092−681−1001
  交  通 神苑前の石鳥居まで、西鉄宮地岳線香椎宮前駅
        から徒歩10分、JR香椎線香椎神宮前駅から徒歩
        4分、JR鹿児島線香椎駅から徒歩15分。
          なお、古宮へは本殿から徒歩3分、不老水へは同6分


 香椎宮公式ホームページへのリンク
 香椎宮境内へのリンク

 
平成24年 春季氏子大祭 御神幸式 行事日程 

月 日   曜日  時刻  行        事
4月1日  日  13時30分  御神興祓 御汐井取り(御島崎 御汐井場)
4月13日 金  18時  遷御祭
4月14日     土     13時  柳生心影流居合い奉納
14時  御発輦祭(本宮) 獅子楽奉納 
15時  御発輦(煙火打ち上げ) 
16時  御着輦(頓宮) 獅子楽奉納 
4月15日     日    10時 神使参向 川上神社 綿津見神社 神職 総代 
14時  御発輦祭(頓宮) 獅子楽奉納 
15時  御発輦(煙火打ち上げ) 
16時  還幸祭(本宮) 獅子楽奉納  
時刻はだいたいの目安です

香椎宮春季氏子大祭
遷御祭(2012.04.13)・神幸式・お下りさん・お上りさん(2012.04.14から15)  
 
獅子楽奉納後、子どもの無事と幸せを願って、獅子頭でかんでもらう母親
 二年に一度の香椎宮春季大祭は上天気に恵まれました。今回は4月13日と4月15日に管理人の写真取材が出来なかったため、フォトスタジオアイノさんから提供を受けた写真を時系列にまとめ掲載しました。 
 (写真提供:フォトスタジオアイノさん)
 
 :2012.0.14参道を下る獅子楽の皆さん(柳瀬)
 
 :2012.04.14香椎宮を御発輦(柳瀬)
お汐井取り
御島崎・御汐井場にて(2012.04.01) 
 
 
 香椎宮春季氏子大祭(御神幸式)始まりの行事、お汐井取り神事が平成24年4月1日御島崎の御汐井場で行われました。
 写真は御島崎の御汐井場で行われた御汐井の神事を時系列に並べています。画像をクリックして拡大画面でご覧ください。(14時15分) 

You Tube 香椎の1年・都会の中の故郷(阪本ゼン氏作成)
 香椎宮別サイト
 福岡市東区歴史ガイドマップへリンク

 ありがとう 10周年記念サイト
香椎宮秋季氏子大祭
2011.10.16
写真提供:フォトショップ・アイノ 
 
 
 
 


さんぽ会歴史ガイドボランティア
歴史ガイドボランティア
2009年3月04日 リハーサル
2009年3月14日 本番
2010年5月30日 香椎宮散策案内

上記の挿絵は黒瀬辰雄 氏の作品です

サムネイルされている画像は、それぞれの小さい写真をクリックして拡大画像でご覧ください 
 
 平成22年春季大祭の記録

御汐井取り「4月4日(日)」午後1時30分(サムネイル画像)
 片男佐海岸御汐井場(サムネイル画像)

御霊移し「4月16日(金)18時から(サムネイル画像)
香椎宮・社殿

神幸式「4月17日(土)18日(日)」(サムネイル画像)
お下り午後3時 香椎宮出発
(サムネイル画像)
お上り午後2時30分 頓宮出発
 
神幸式

御汐井取り 
 
2年に一度の春季氏子大祭大祭  稚児行列も
4月17,18日の両日、春季氏子大祭神幸式が開かれる。
 2年に一度の大祭で、香椎宮の祭神・神功皇后が亡くなったとされる4月17日に最も近い土日に行われる。
神輿や獅子楽、古代甲冑の披露、稚児行列など繰り広げられる。
17日に神輿ほ本宮から約1キロ離れた頓宮まで移す「お下り」、18日には神輿を本宮に移す「お上り」の神事が
ある。
先立つ4月4日には神輿を清める神事が、御島崎御汐井場で厳かに行われた。


 
 香椎宮境内略図
 
拡大写真を表示出来る場所
弁財天社 香椎宮御創始の昔から宮の内外にお祭りしてあった、高良大明神・志賀大明神等、香椎宮八所の一つとして古い由緒のあるこの弁財天様は、香椎宮編年記に「寛永八年(1631)再び宮前の池を穿ち、また古規の如く弁財天の社を建つ」と見えている様にそれ以前からこの中ノ島に御鎮祭してあった事がわかります。
古  宮 仲哀天皇の居=橿日宮跡で神功皇后はここに天皇を祀られた。香椎宮創建の地として香椎の地名もここから。
仲哀天皇大本営跡 仲哀天皇がクマソ征伐に来られた際に大本営を置かれたところ。天皇はここで神々のお告げを聞かれたと言われます。
不老水 300歳もの長寿で六朝につかえた武内宿祢家の井戸水、不老長寿の霊泉として全国に有名。毎日奉載に来る人も多い。日本百名水百選にも選ばれています。
武内神社 本殿右側に位置する香椎宮摂社。大臣武内宿祢命が祭神で、4月15日に例祭が開かれています。
巻尾神社 本殿左側に位置するもう一つの摂社。中臣烏賊津大連が祭神で7月8日に例祭が開かれています。
稲荷神社
鶏石神社
早辻神社 つつじ苑を登った丘の上にある。大伴武似を祭神とする香椎宮末社。例祭が毎年7月16日に開かれています。
朽瀬神社 末社のひとつで、武内大臣の子、羽田矢代宿祢が祭神。例祭は7月24日。本郷家の先祖。「くちとせ」と読む。
 
香椎宮の姿
楼門 勅使館
中門 綾杉
扇塚 狛犬
楼門越しに見る紅葉。皇室の御紋と紅葉がなんともいえない。 本殿脇にある戦艦「摂津」の14サンチ副砲大正12年、貞明皇后から奉納されたもの。
御島の鳥居
仲哀天皇を亡くされた神功皇后が神託をうかがいに渡られた島。皇后はここで「みづら」という男髪に。
頓宮
香椎潟を見おろす高台にあり、晴れの日は玄海の島々も見える。隔年毎の御神幸お仮屋で3首の万葉歌碑で有名
印鑰神社
蘇我石川宿祢を祭神とする香椎宮末社。例祭は7月23日、武内大臣の子で石川家の先祖。「いんやく」と読む。
高陪神社
大宮武内宿祢氏連祭神とする香椎宮末社で7月14日には例祭。武内、木下家の先祖と言われています。
浜男神社
昔は毎日、御島神社に渡ってお祀していたが、悪天候で渡れない時はここでお祀りしました。
平野神社
仁徳天皇を祭社とする末社の一つで、現在はほこらだけになっており、3月1日に例祭が開かれています。
報恩寺
1192年、栄西禅師が創建。日本最古の菩提樹(樹齢800年くらい)が現存する。臨済宗妙心寺派の寺です。
報恩寺の日本最古の菩提樹
薬師様(上組)
香椎宮守護15ヶ寺のなごりで現在は仙崖和尚の隠居幻住庵の飛び地境内に。
薬師様(下組)
香椎宮守護15ヶ寺のなごりのひとつで、薬師如来と観音様をまつる。一生に一度の願いをかけると叶うと言われています。
 



香椎宮の筋塀
 香椎宮は神功皇后が同地に仲哀天皇の神霊を祀り、724年(神亀元)の社殿(廟所)の造営によって、両宮を併せて香椎廟と称せられました。日本四所宗廟(本朝四所)といいます。明治以来には官幣大社香椎宮と称し、戦後は香椎宮と称しています。境内に入り菖蒲池を隔てた先に建つ、重層の雄大な門で総檜の白木造りの楼門は1568年(天正14)戦火により焼失しましたが、1903年(明治36)に再建されたものです。この楼門には左右から伸びる筋塀があります。壁に白い帯状の線が横に五本入った定規縁(じょうぎぶち)といわれる築地(ついじ)です。「筋塀」は、もと御所または門跡などの寺院で用いられ、筋の数は格式により異なり、五本を最上としています。今ではこの制度はありませんが、この筋塀を付けられるのは天皇の勅許、つまり許可がなければいけませんでした。他の神社にはありません。ようするに天皇家と何らかのつながりがある「廟」としてのあかしでしょう。楼門の扉には菊の紋章が使用されています。

勅使参拝標石
中門階段下に
 
御手水所 御祓所 
中門内の入り口左右に
 
御脱剣所 御土居所
勅使館前に
御休息所
 これらの石柱は勅使又は太宰の師が香椎廟に参拝した時の昇殿までの儀式の順序、場所を指示した標石で香椎宮だけにある貴重な標石である 。石は奈良時代のものと思われる。
 



香椎宮の宝物


(サムネイル画像)

                                 
仲哀天皇、神功皇后を祀る。仲哀天皇は、国の内外を平定するため、皇后と共に一時期この地に皇居を置いたといわいる。
天皇が崩御された後も、皇后はこの地に止まって武内宿禰らと国の内外を平定された。当宮は古くから、皇室の宗廟として高い格式をもっていて、今の本殿は享和元年(1801)筑前藩主黒田斉清が再建したもので、「香椎造り」と呼ばれ国の重要文化財に指定されている。 皇室の尊崇も厚く本朝4ヵ所の宗廟勅願所の一つであった。境内のツツジ、菖蒲の時期には遊覧参拝客が多い。社宝には宣命二通および貞明皇后寄進の金色燈篭一対などがある。
写真は香椎宮社殿と本殿
             創建は1800年前と伝えられる、歴史のあるお宮です。
             723年の造営で奈良・平安時代に大きなお宮になりました。
             福岡市を代表する三社参りのコースです。
benzaiten takeuti furousui furumiya tyuaitennou makio inari keiseki hayatuzi kutise
拝殿より幣殿に向かう
                                                    拝殿より幣殿に向かう
JR線近くに三条実美の筆による万葉の歌碑がある。

        いざ児ども香椎の潟に白妙の
                袖さえぬれて朝菜つみてむ

     「さあ皆の者、この香椎の干潟で袖の濡れるのも忘れ、朝の藻を摘もうではないか。」
                             
(大伴旅人参拝の折)

時津風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな
「海から風が吹き出しそうになってきた香椎潟の、潮の引いている入り江で今のうちに玉藻を刈りましょう。」
                                          小野 老(おののおゆ)


往き帰り 常に我が見し 香椎潟 明日ゆのちには 見むよしもなし
「太宰府の往き帰りにいつも見馴れた、私にとって懐かしい香椎潟ではありますが(今日を限りの見納めでこれから帰るので)明日からは見るすべもありません。」
                                                宇努 男人(うぬのおひと)                       
   *歌碑は頓宮(仮の宮)参道大鳥居東脇「香椎潟万葉碑」より

香椎宮のお祭り

      楼門
                                                                                   楼門 境内に入り、菖蒲池を隔てた先に立つ。
                                                                                                                   重層の雄大な門で、総檜の素木造り。
                                                                                                            1909年(明治36年)に再建された。

香椎宮本殿の門


「香椎」地名の由来「かしひ」は仲哀天皇の首都 ?
貝原益軒の「筑前国続風土記」には社家の言い伝えとして「仲哀天皇この行宮(香椎)にて崩じ給いぬ。天皇の御屍をおさめし御棺を、しばらく椎の木にかけおかれしに異香四方に薫ず。これによって、所の名も香椎というといえり」とある。椎の木にかけられた仲哀天皇の御棺から香りが四方に漂ったことから香りの椎"香椎"という地名が起こったという。

神功皇后ゆかりの「綾 杉」

香椎宮綾杉
 本殿、幣殿に入る石段の前に「綾杉」という巨大な神木が、聳えている。この神木も神功皇后にゆかりがある。
皇后は御託宣で「杉は万木の中でも直ぐなるものであるから人も杉のように直であれば我これを守るべし」といわれた。
三種の宝を埋めた上に挿した杉は皇后の鎧の袖につけた杉であったという。
綾杉は幾度か火災ににあって焼失したが、その都度、新しい芽が出て大木に生長した。 
  

「ちはやぶる香椎の宮の綾杉は神のみそきに立てるなりけり」
(読み人知らず)



武内屋敷と不老水
     香椎3丁目  香椎宮裏門より近く

 神功皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿禰が、香椎在陣中に居住したと伝えられている。宿禰は三百歳まで生きたという伝説の人である。
近くの不老水は宿禰の長寿にちなんだもので、香椎宮の綾杉の葉と共に明治維新頃まで朝廷に献上されていた。不老水は長寿の神秘を物語るように、汲めどもつきぬ水を湧かせている。
 昭和60年3月「名水百選」の一つに、ここの「不老水」に選定された。水質、水量さることながら不老長寿の伝説と共に住民に親しまれている。
現在、香椎宮を中心に保存会があり、保存活動が行われている。






                     


 福岡の副都心として多くの商店街でにぎわう香椎の街並みを抜け、165本のクスの巨木が並ぶ香椎表参道を歩くこと、表通りの騒がしさとは無縁な香椎宮にたどり着く。
「不老水」は香椎宮裏門から約300メートル離れた飛び地の境内にあり、周りは水田が広がる。
 民家に取り囲まれた神域はわずか20平方メートルほどの広さ。「不老水」は、大和朝廷初期に大臣として4代の天皇に仕え、300年の長寿を保ったといわれる伝説の人物武内宿禰が、仲哀天皇と神功皇后に献上するご飯に使ったと伝えられる。初めは、「御飯の水」「老の水」と呼ばれていたが、奈良時代に「不老水」と名付けられた。1985年には環境省の「名水百選」に選ばれた。
 井戸は直径約2メートル、深さはわずか1メートルほど。かまどにかけられるような木製のふたを取ると、こんこんとわき出る地下水が現れる。備えてあるひしゃくですくいコップに移して口に運ぶと、雑味のまったくない透き通った味がのどを通っていった。まさに神代の水だ。
 昔から長寿や健康を願い、近年では水ブームでおいしい水を求めてくみに来る人は絶えない。東区箱崎の香田金治さん(70)は友人に聞いて数年来のファンに。週1回は必ずくみに来る。「お茶煮炊きに使うと、素材の味を引き立てて最高。毎日飲んでいると心なしか元気になった気がするよ」と笑顔で話した。
 長寿の神秘を物語る不老水も近年は湧水量にかげりかみられる。「開門時間は午前10時から午後3時まで。1人ペットボトル2本まで守ってほしい」と香椎宮では呼びかけている。(福岡東支局・床波昌雄)
                            '04.09.15西日本新聞 夕刊 九州水物語り 香椎宮の不老水より転載


                 

                 香椎潟にある末社御島の鳥居(綿津見神) 香椎御島崎片男佐橋近く


香椎宮参道

「古事記」に起源が記された香椎宮。国道3号線から入り大きな石の鳥居を正面に左側が中心街。正面まっすぐ香椎宮までが通称香椎参道です。車道の両側にクスノキが連なる。約750メートルの間に140本以上。ほとんどが10メートルを超え、枝と葉が生い茂り、両側から頭上を覆う木のトンネルです。
(西日本新聞2003.4.30夕刊から転載)