いままでの写真

 本日から、昔の香椎(浜男)の写真を連続して掲載致します。同写真は、香椎の方々のご協力により収集出来たものばかりです。50枚近くの懐かしい写真を掲載致しますのでお楽しみご覧ください。 また、ご家庭で眠っている写真がございましたらご一報くださいませ。 キャプション等の差異につきましては、どうぞご連絡くださいますようお願い致します。(2011.07.27)
当時のことを、よくご存じの方はお知らせくださいますようお願いします。
携帯090−2966−8186
                               写真提供:  相野裕治氏(フォトスタジオ・アイノ).本郷英一氏、藤野庫充氏
2011.07.27
昭和26年〜27年代 香椎浜男本通り(南側から北側を望む)
左側・「船越時計店」.右側のオート三輪車が駐車しているところが「すずか商店」げた屋さん
写真中央電信柱の辺りが、現在の香椎交差点

2011.08.14
香椎駅前通り(昭和30年〜35年代)の写真と思われる
道路は舗装されておらず、ジャリ道だ。(JR香椎駅前から西鉄貝塚線踏切側を望む)
写真は、2007年(平成19年)北野たけし主演のドラマ「点と線」(テレビ朝日放送)で、写真(上)を参考に再現された当時の香椎駅前通りのオープンセット。
2011.09.08
初代の国鉄香椎駅
明治43年11月新駅舎開業
駅前のソテツのロータリーが今でも印象的。思い出に残る。

旧八代駅を移築
香椎駅小史
南欧風の二代目国鉄香椎駅舎
昭和63年3月から現在のJR香椎駅ビル完成(平成8年)まで営業

2011.09.25UP
駅前通りから当時の国鉄香椎駅を望む
道路はまだ未舗装の状態です
昭和40年4月23日(撮影日)
駅前通り(西鉄宮地岳線踏切付近より、香椎駅、香椎駅前商店街を俯瞰する)
2011年10月16日 日曜日UP
昭和44年7月 香椎新浜町という旧町名で表示されています
現在の「キラキラ通り商店街」入り口の信号付近「源和工業」は現在のイナバビル跡
年代不明
JR香椎駅前にお菓子屋「さかえや」さんが有った時代
   2011.11.12(土)UP
大正5年4月15日大字浜男230番地旧小学校跡に2階建瓦葺き新庁舎を建設し移転した
昭和27年老朽化のため廃庁(香椎町誌より転載)
   昭和27年2月国鉄より買収し新香椎町役場(西鉄香椎駅前)となったが、昭和30年福岡市合併とともに解体された。
(香椎町誌より転載)
2011.12.2(金)
レンガ敷き詰め中の完成間近なセピア通り。(昭和61年2月15日)
セピア通りの由来=歩道を敷き詰めたレンガの色がセピア色であったので、セピア通りと命名
完成したセピア通りを祝うパレード(昭和61年4月7日)後方は国鉄香椎駅

2011.12.20(金)UP



旧西鉄香椎駅(印象的な清張桜)
 海岸線の名残として、西鉄香椎駅はスロープ状の上にあり、ここが昔海岸であった場所としてよくわかる。西鉄駅裏の古老の話では「前が海だったのですぐ飛び込む事が出来た」という。
 また、浜男で一番高い場所は、JR香椎駅斜め前の「浜男神社」で、その昔そこには、海の目印となる灯台らしき物が存在していたという。
西鉄香椎駅前の「香椎信用金庫」(現とびうめ信用金庫)と香椎商工連盟(昭和38年6月新築)
2012.01.19
朝日国際マラソン(現・福岡国際マラソン)

 当時は、雁ノ巣折り返しのコースとして、香椎の3号線が賑わっていました。
朝日国際マラソンの当初は、高松市など8カ所で行われていましたが、第9回
大会から福岡で行われるようになり、冬の風物詩として定着しています。 

[参考]

雁ノ巣折り返し時代の福岡国際マラソンの写真懐かしいですね

写真から推測するに先頭を走っているのはクラレの寺沢徹さんですね

と言うことは昭和37(1962年)のレースですね。

私が一番印象に残ったレースは初めて2時間10分の壁を破った昭和42年の

オーストラリアのデレク・クレイトンと佐々木精一郎のデッド・ヒートです

佐々木精一郎の果敢な走りにすっかりフアンになったものです


国道3号線御島橋交差点

 バックのこんもりとした御島の森は、現在「ルネサンス香椎」が建っている場所です。
昭和53年9月4日撮影
2012/02/08No.10
国道3号線香椎バス停
当時の古賀方面香椎バス停は、現在地より千早寄りにあり、香椎橋を渡ったすぐの所に位置していました。
香住ヶ丘方向を望む。昭和30年〜35年頃
国道3号線香椎交差点
大型スーパー「アピロス」があった時代
2012/03/03 No.11
浜男街道
2012/03/03 No.11
浜男本通り1区
2012.03.21更新NO.12
香椎参道踏切平成11年
2012.03.21更新NO.12
香椎セピア通り踏切 平成13年12月
(2012.03.29更新 NO13)
昭和37年当時
子どもが釣りをしている堤防は、現在のマンション「アンピール香椎駅前」側になります
また、写真右手奥には御島橋が見え、御島2丁目側は裏がすぐ海岸となっています
(2012.03.29更新 NO13)
昭和26年当時の片男佐海岸                        
(2012.04.24 No14)「タイドプール」
昭和34年当時の香椎潟
松の木の後ろ側に生けすがあります。その頃の子どもたちは、プール代わりにして、泳いでいたそうです。
背景のアパート群は、公団香椎団地です。
(2012.04.24 No14)「片男佐海岸の潮干狩り」
昭和40年当時の片男佐海岸の貝掘り風景です。「香椎まちの歴史」には、「シーズンになると近隣の人々が潮干狩りに来て浜は黒ゴマをまいたようだった。」とあります。
また、写真右側建物の側に貸しボート小屋があり、その裏は道路を隔て香椎花園です。
正面の岬からは、アイランドシティへつながる「あいたか橋」が2013年の春に開通します。
(2012.05.19 No.15)片男佐海岸
片男佐海岸(現在の香椎花園西口付近・昭和40年)
海岸は「緑の松林」にボート小屋もあった

昭和57年頃より潮流の変化が見られ、現在は一本の松も無い
片男佐海岸の岩礁地帯から望む(昭和37年)
左)妙見島 右)御島神社の鳥居 
大潮の時期になると、妙見島あたりまで潮が引いそうです。
緑の松林と片男佐海岸(昭和40年)