香椎潟の海の中に鎮座する御島神社の鳥居 (バックの橋は平成25年春開通の海上遊歩道「あいたか橋」) |
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香椎潟の海の中に鎮座する御島神社の鳥居まで、片男佐海岸から一本の道が延びている。 おそらく、御島岩礁が連なったものと思われるが、当地の古老は「海の参道」だと言う。昭和初期の人たちでさえも、一度は片男佐海岸から御島神社まで干潮時に渡った人も多い事だろうが、途中一箇所道が切れていて、泳いで渡ったと言う。 私は、昭和23年に撮影された国土地理院の航空写真地図で、この道を見つけた。現在の地図と比べ、どの地点から道が延びているのか、「フォトスタジオ アイノ」のご主人にお願いして特定してもらうこととした。「フォトスタジオ アイノ」のご主人は昭和23年の写真と現在の写真を同倍率にして、その場所を割り出してくれた。下段2枚目の写真である。 御島神社から一本の線(写真赤い線)が「長崎の鼻」まで伸びている。 *「長崎の鼻」の場所 「長崎の鼻(旧名称)」=割烹香椎花壇の前を海へと続く信号の付近 私は、これだけの資料では証明出来ないと思い、平成24年3月10日午後5時6分の最干潮をねらい写真に納めたが、干潮時の同参道上には大量のヘドロが堆積し、確かな資料写真を撮ることは出来なかったが、一筋の道はある。 今は、御島神社へ干潮時であれば、香椎浜のイオン側より陸伝いに歩いて行くことが出来るが、昔は、濱男神社裏の海岸から舟(濱男神社の裏に舫ってあった)で渡って(当時の海岸線は西鉄貝塚線のすぐそばだったそうです。「下記大正15年MAPを参照ください」)神事を行っていたと、元香椎公民館第4代館長 故本郷辰雄氏が書き残された「歴史と伝統の街香椎を語る」にも掲載されている。 例大祭は、旧暦の8月15日(平成25年9月19日)に神事は行われた。
2012/04/02 御島神社へと続く一本の道は、御島神社の鳥居などを補修した際に作った工事用の道とのこと。途中一箇所水抜きのために、開いている所がある。 上記文書の「泳いで渡らなければならない」所は、一致する。 |
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昭和23年国土地理院航空写真 写真香椎潟の中央に一本の白い道筋が御島神社まで伸びている |
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大正15年の海岸線を示した地図 |
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アイノカメラのご主人が現在(平成10年11月12日)の写真で特定した線(赤の線) |
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干潮の香椎潟・御島神社側から望む(2013.09.19) |
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左から右へ一本の道がある |
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若葉団地5階から見た香椎潟 |
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若葉団地5階から見ると確かに一筋の道がある |
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